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媧燐(かりん)の弟は昌平君と媧偃(かえん)?史実上では2人いる?

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キングダムに登場する楚の将軍・媧燐(かりん)は合従軍編で秦を苦しめ、李牧と並ぶ知略の持ち主として評されるほどの強敵です。

合従軍編では、弟と思われる媧偃(かえん)も登場しており、兄弟そろって楚の主力として各国に名を轟かせています。

そんな媧燐(かりん)には生き別れた弟が存在すると明かされ、史実で楚の出身である昌平君が候補に!

史実でも、弟が昌平君と媧偃(かえん)の2人いるのではないかとも、うわさされています。

今回は、楚の将軍・媧燐(かりん)の弟について紹介していきましょう!

 

媧燐(かりん)の弟は昌平君と媧偃(かえん)?

媧燐(かりん)の弟として予想されているのが次の2人!

  • 昌平君
  • 媧偃(かえん)

2人ともすでに原作に登場していますが、李園と媧燐(かりん)の会話の中で明かされた過去は、『探し回っていた弟は唯一の身内』であり、1人のはず。

媧偃(かえん)という兄弟が登場しておきながら、なぜ楚人ではなく、秦の軍師であり、関係ないようにも思える昌平君が候補に上がっているのでしょうか?

昌平君が生き別れた弟だと仮定すると、すでに登場している弟の正体が謎に包まれることに!

媧偃(かえん)とは一体何者なのか、、、血縁が無い兄弟なのでしょうか。

また、媧燐(かりん)が探していた唯一の身内である弟の正体も気になりますね。

いったい誰が弟なのか、まだ明かされていない媧燐(かりん)の弟について考えていきましょう!

 

楚の第一将軍:媧燐(かりん)とは?

媧燐(かりん)は楚国第2軍を率いる将軍として合従軍編から登場し、独特な髪形が特徴で、汗明や蒙武に引けを取らない、大柄な長身の女性キャラクターです。

コンプレックスに感じている身長をいじった者は容赦なく命を奪うと公言するほどで、性格が悪く、とてつもなくサディスティックですが、実力は折り紙付き!

キングダム中華統一戦争編では李園の依頼で宰相となり、楚の第二大将軍として絶大な権力を誇っています。

 

合従軍・函谷関の戦いで秦を滅亡寸前まで追い詰める!

媧燐(かりん)の実力は、合従軍編・函谷関の戦いで発揮されました。

勝利第一主義で手段を選ばないタイプの将軍で、汗明の死後から楚軍を率いると、凡戦を展開すると装って秦国の意表を突き、函谷関を落とすあと一歩まで迫ります。

惜しくも王翦の読みの鋭さで媧燐(かりん)の策は阻止されますが、最も秦を追い詰めた武将となりました。

 

合従軍編で登場!媧燐の弟:媧偃(かえん)

媧燐(かりん)の弟・媧偃(かえん)も合従軍編で登場しますが、大きく目立った活躍はしませんでした。

楚の将軍・汗明と秦の蒙武が一騎打ちを行っている最中に媧燐(かりん)の命を受け、戦いに乱入して蒙武を討つ任務を承ります。

しかし、蒙恬に策を見抜かれてしまい蒙武を討つことはできず、汗明も蒙武に討たれる大失態!

媧偃(かえん)の戦いからの離脱は描かれていませんが、媧燐(かりん)の弟であることからずるがしこいと思われ、騒ぎが大きくなる前に戦場から引いて、現在も媧燐軍に所属していることでしょう。

名字も同じであることから関係性は兄弟であることが推測される二人ですが、戦国時代は政略結婚も盛んに行われていた時代で、夫婦、もしくは血のつながりのない義理の兄弟の可能性もある、関係性が謎に包まれたキャラクターです。

 

生き別れた弟は昌平君?

秦国の軍師・昌平君が本当に血のつながりのある弟ではないかとの予想も数多くあります。

媧燐(かりん)には、戦争孤児となり唯一の身内の弟を探し回った過去があると明かされました。

そのため、弟が誰なのかという予想が盛んに行われ、昌平君が度々候補として挙がっています。

昌平君は史実上では楚の出身であり、媧燐(かりん)も楚人であることから関係性が全くないわけではありません。

楚人なのに秦国にいる昌平君に不自然さすら感じ、過去に何か隠されている可能背が高く、兄弟なのかもしれないと考えもあり得ませんか?

その他にも、桓騎や司馬尚など過去に謎の多いキャラクターが媧燐(かりん)の弟ではないかとうわさになっており、本当の弟が誰なのか明かされる日が待ちきれませんね!

 

媧燐(かりん)の弟は史実上では2人いる?

弟は史実上でも2人いるのではないかと、キングダムファンの中でうわさになっています。

作中では明かされていませんが、今のところ弟としての可能性が最も高いのが、媧偃(かえん)でしょう。

他にも兄弟がいたのか、史実の記録を掘り下げてみていきましょう!

 

媧燐(かりん)は史実に実在する?

現在のところ、媧燐(かりん)の史実上のモデルは全く明かされておらず、実在されていたのかどうかも不明!

同名の武将はキングダムの基になった「史記」には登場しませんが、原作者の原先生は様々な史実の記録を融合させていることでも有名!

他の書物の記録などを参考にして、媧燐(かりん)がキャラクターとして生まれた可能性が高く、モデルは実在して、弟もいた可能性がとても高いのではないでしょうか!

 

2人の弟との関係性!

媧燐(かりん)の弟の存在は、今後のキングダムでも物語のキーポイントになる可能性も高いのではないでしょうか。

ここからは、媧燐(かりん)の弟が昌平君と媧偃(かえん)と想定して、史実に実在するのか、2人の弟との関係性を見ていきたいと思います!

 

探し回った唯一の身内は昌平君!

昌平君は秦の軍師であり、楚の媧燐(かりん)とは全くつながりが無いようにも思えるでしょう。

しかし、実は史実に秘密があり、昌平君は楚国の出身であり、楚王の子ども・公子でもあります。

さらに昌平君は、秦が楚を攻めて滅亡させる紀元前222年に秦を裏切って楚に寝返り、戦って戦死!

仮に昌平君が媧燐(かりん)の弟であれば、昔に戦場で探し回っても見つからなかったのは、秦に王の子どもとして逃がされたから!

そう考えると、媧燐(かりん)と昌平君の姉弟説はとても可能性が高いですね!

 

媧偃(かえん)は血のつながりがない弟?

媧燐(かりん)と昌平君が兄弟とすると、弟と考えられている媧偃(かえん)との関係性も変わってきます。

唯一の身内は弟しかいないと公言しており、昌平君が弟だと媧偃(かえん)は血のつながりがないことに!

戦争孤児となった媧燐(かりん)は、保護された家で血のつながらない弟ができた説や、政略結婚などでできた義理の弟が媧偃(かえん)とのうわさも!

2人とも「史記」の中ではモデルが誰なのか明かされていないため、実在したかどうかは定かではありませんが、史実に忠実に描くと明言した原作者の意向から考えると存在したと考えるのが自然です。

いずれにしても、媧燐(かりん)と媧偃(かえん)に血のつながりがない可能性が高く、どのような過去から同じ名字を背負うことになったのか、明かされる日が待ち遠しいものですね。

 

まとめ

媧燐(かりん)の弟は、史実でも昌平君と媧偃(かえん)なのかについて紹介しました。

今のところ、弟が誰なのか明かされていませんが、史実で楚に関係する昌平君が最も可能性が高い存在!

媧燐(かりん)と合従軍編で登場し、弟と思われていた媧偃(かえん)は、実の兄弟でない可能性も出てきました。

史実でも謎の多い存在であり、過去が明かされる日が楽しみで、もし昌平君が弟だったら、キングダムファンの全ての人が、驚くことになるでしょう。

最新の653話で楚と戦争中であり、何かしらの伏線が描かれるかも!

これからのキングダムにも注目していきましょう!